誰かに何かを教え、伝える。
それが相手の知らないことや、相手の役に立つことであれば、それは本当に素晴らしいことであり、自分自身にとっても相手にとっても【価値ある財産】となります。
しかし、使い方を間違えてしまうと、あっという間に自分自身を【勘違いの化身】に変貌させてしまいかねません。
今回は、日常のどこかで見かけたシーンをもとにしてお話をさせていただきます。

◆「人の役に立ちたい」という一念発起が承認欲求の塊に……
某感染症が流行する前のこと。
一時期「なんとなく落ち着けるし、雰囲気が楽しい」ということからドライブがてら通っていた神社がありました。
境内のお休みどころは度々オーナーさんが変わっている状態でしたが、そのときのオーナーさんになってからは、店内も神社で授与されている開運御守がディスプレイされたり、いい感じの明るさになっていました。
どうやら、そのオーナーさんは【東洋の統計学占い】を身につけていらっしゃるようで、それをもとに鑑定コーナーも店内で設けていらしたのですよね。
それで訪れるお客様も増えて、どんどん【開運できるお店】として発展したようなのです。
しかし、訪れるごとに「あれ?」と思えるような場面に遭遇することがありました。
店内のアイテムも、次第にエスカレートしすぎて【「俺様上等!!」と書かれたヤ○キートラック】かと思わせるようなゴテゴテの装飾になってしまいました。
~お客さんたちとのやりとり~
客A「駐車場の奥にある古い御神木のところ、ひっそりしていていい感じですよね。まさに昔からの神様がいらっしゃるような感じで」
オ「あー、あそこ、神様いないから(笑)」
客A「え?」
オ「古すぎて枯れてるから、何にもいないよ」
客A「……(私が感じたのって……)でも、”御神木”って看板出ていますよね?」
オ「あー、あんなの意味ないし」
客A「……」
**************
客B「(お会計時に)ここに飾られている御守、初めて見ました」
オ「そうでしょ~?最近、新しい神様のお社ができたんだけど、その神様がどんな神様か聴かせてあげましょうか?」
客「え……(引き気味)、あ、じゃあ、またの機会に」
オ(明らかにつまらなさそうな顔に)
**************
客C「年末のお参り納めに、今回は小さなポチ袋に神様へのお礼を書いて、そこにお賽銭を入れたんです!」
オ「へぇ~、誰が読んでくれるんでしょうね~(笑)」
客C「……」
いかがでしょうか?
ここは神社の境内のお休み処で、お参りに来る人たちはそれぞれに心に自然と感じるままに感じたことを言葉にしてみたり、小さな感謝を【絵馬】を納めるようにポチ袋にしたためてみたり、傍から聴いていてほっこりするようなお話だったのですよね。
きっと、古来から【八百万の神】に敬意を示すことって、まさにこのような感じだったのだろうなぁ……と思っていました。
ところが、明らかにそこの神様や敬意を示すことを嘲笑うかのような言動を見せたり、「自分は誰よりもここの神社のことや神様のことを知っている」と猛烈アピールをして見せたりと、果たしてこれで参拝者や神社の神様は喜んでくれるでしょうか?
その後、オーナーさんのお友達なのか?かなり親しい【同業者】らしき方が数名来店されていました。
そこで、オーナーさんと交わされていた会話が衝撃でした。
オ「この神社さ~、最近不幸な人ばっかり来るし、宮司の力がもうないんじゃないのって感じでさ~」
同「でも、この前、神社のミドリバカマ、お祭りの前に私が”この時期はお忙しそうだし、天気も荒れやすいから、大変ですよね”って声かけたら、”ありがとうございます。大丈夫です!私たちは神様にお仕えしているので、喜んでいただけるなら”って言ってたよ」
オ「ミドリバカマが!?神様にお仕えしているんだ!!!」
同「そうなんだって!!!」
(一同大爆笑)
同「で、今度の○○山への開運ツアーでさ~、○○先生(←これも占いか何だかの人物らしい)が……」
この神社には常在の巫女さんがいない代わりに、神社の氏子の婦人会らしき女性の方々がいらっしゃって、巫女さんの緋色の袴の代わりに松葉色の袴を身に着けておられるのです。
「ミドリバカマ」とは、それを揶揄した言葉なのですね。
しかも、お客さんのいる前で……。
さて、皆様はこのやり取りをどう感じられますか?
私は……
申し訳ないのですが、このお店に二度と立ち寄りたくなくなってしまいました。
せっかくいただいている軽食の味も、なんだかこの会話と共に残念な味になってしまったのですよね。
思えば、この頃はちょうど「スピリチュアル」なるものが市民権を得たように存在した頃でした。
「スピリチュアル」という言葉や外観だけが独り歩きし、玉石混交のものが巷にあふれ始めた頃でしたため、中には【偽スピ】と呼ばれるものも現れ、現在にも至っているようです。
それから、そのお店は、ほどなくして閉店となりました。
今では、また新たなオーナーさんの元、毒気の抜けたお店として、派手さはなくとも本当の意味でのお休み処として繁盛しているそうです。
このオーナーさんは、集客にもブログやSNSで積極的に活動されていたようですが、ここでびっくりするようなことが書かれていました。
「私は不幸のどん底に会ったけれど、東洋の統計学占いに出会ってから救われたから、私自身もこれを学んで、同じようにつらい状況にある人や、この先をどうにか打開したい人の力になりたいと思って、お店で鑑定をすることになりました。
ところが、私の話を素直に聞いて実行してくれる人はいいのですが、否定的なことを言ったり受け入れるのにためらったりする人がいます。
そういう人たちは何をやっても何を言っても無駄ですから、私の話を聞いて実行できる人だけ来てください」
遠い記憶のため、うろ覚えではありますが、このような趣旨でした。
どんなに「人の力になれるように開運をお手伝いしよう」と始めたことでも、心がけや周囲への気持ちが伴わなければ、こんなことになってしまうのだなぁ……と反面教師に感じました。
◆手にした力を承認欲求にしないためにも
このオーナーさんの言いたいことはわからなくもありませんし、実際、ご自身のご経験から学んで身につけたことを「人のために役立てたい」という一念発起はとても素晴らしいことです。
しかし、この方のお話を聞いて、当然戸惑う人もいれば、様々な状況から即実践が難しい人もいるのは仕方のないことだと思うのですよね。
勿論、相談に来るお客様も「何とか現状を変えたい」という想いから勇気を出してお金を払ってアドバイスをいただいているのですから、それだけでもまずは大きな一歩になります。
確かに、「話を聞いて納得したように思えて、即実行せずに後回しにしてしまい、結局やらない」というパターンは、私の業種や他にも往々にして存在するケースではあります。
しかし、人はそうそうすぐに簡単には大きく変わるのは難しいものです。
大切なことは、「いきなりは難しくとも、できる範囲でいいから、ほんの少しだけでも始めてみるといいですね」と提案してみることではないでしょうか。
スモールステップ(これをもっと小さくして”ベビーステップ”と表現される方にお会いしました)から提案して、お客様に安心感を与えることも、開運の手助けとしては最重要ポイントなのでは……?と感じたのです。
もっとも、個人の価値観ですので、このオーナーさんのようなお考えに賛成の方もいらっしゃると思われます。
きっと、このオーナーさんは「○○先生」と会話の中で出てきた人物のように、ご自身も周囲から崇め奉られる存在になりたくて仕方なかったのだろうな……という言動が、様々は場面でうかがえました。
「自分と同じように、つらい状況の人や人生を打開したい、改善したい人の手助けをしたい」という動機が【承認欲求】のためにどんどん歪んだ膨れ方をしてしまったことは、とても残念な結果だと感じてなりません。

これは、私たち講師と呼ばれる立場の人間や、様々な【人を指導する】という立場にある人間にも共通するお話です。
今回のお休み処のオーナーさんのケースを学習塾に当てはめてみますと、こうなります。
【お客様】
塾)子どもの学習状況の改善や今後のアドバイスをいただきたい
【サービス提供者】
相談者の悩みが解決されるようなアドバイスを提案
塾)同じく
そうすると、サービス提供者として、学習塾であれば教室長や実際に学習を指導する講師は、生徒やその保護者に対して「どうすれば成績アップできるのか、現状の改善のためのアドバイス」を行います。
そのとき、それぞれの生徒の生活スタイルを考慮する必要があります。
○スポーツのクラブチームに入っていて、学校が終わるとほとんど練習。
○部活が忙しい。
○他の習い事もやっている、複数科目を既に教室内で受講している。
○保護者の送迎事情
そこから、毎日の習慣づけとして、どのような工夫を導入できるかを話し合うのが建設的です。
それらを無視して「このやり方が今すぐできないのであれば、来ないでください」なんて、とても言えません。
学習塾は、その理念を押しつけて崇め奉られるためのカルト宗教ではないのですよね。
また、【提供する側】と【提供される側】それぞれに事情があるように、相手の価値観があるということも認めて、受け入れることが大切になります。
このお休み処のオーナーさんがお客さんに対して、どこかしらマウントを取るような態度をしてしまったことも、人を導く側としては気をつけなくてはならないヒントがあります。
初めて触れる問題演習時において、生徒の問題の解き方が講師の解き方と異なっている場合、
「そんな解き方、ありえない!!今すぐ、こちらの解き方に変えなさい!!」
と言ってしまうと、どうでしょうか?
その生徒は、少なからずショックを受けるはずです。
しかも、その生徒なりに理由や根拠があってなじんできた解き方は、スムーズにあっさりと変えられるものではありません。(特に算数・数学は顕著です)
たとえ、指導する側から見てびっくりしてしまうようなものであっても「その発想はなかった」という柔軟な姿勢を持って、まずはその生徒の考え方を認めて受け入れることが大切です。
その上で、
「こういう解き方もあるよ。もしかすると、問題によっては、あなたのほうがやりやすいこともあるかもしれないし、こちらのほうがやりやすくてテストのときに役に立つかもしれない。だから、試しにこちらの解き方もやってみない?」
というふうに、相手を立てながら、提供する側のメリットも提示して体験してもらうのがベストと言えるでしょう。
以前、そのやり方を【アサーション】として記事にしたことがございます。
◆いかなる立場であれ、人は互いに学び合うもの
誰かを導く立場にあるということは、それだけの力を手にしていると言えます。
それゆえに、大切なことを見落としてしまうと、その力はたちまち人を【承認欲求の化身】にしてしまいます。
自分を認めてもらいたい……という想いは、少なからず誰の心にも存在します。
その想いがあるからこそ、人は主張し、発信します。
しかし、自分を知ってもらうためには、まずは相手との歩み寄りを大切にし、自分も相手も尊重することが重要であると思えます。
いくら自分が「知識がある」と自負しているつもりであっても、もしかするとその中には思い違いや勘違いが存在している可能性もあるのです。
人であれ物事であれ、相対するものには敬意を忘れずにいたいものですよね。
そうした学び合いこそが、より素晴らしい実のある自己研鑽となるでしょう。

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