自分が思ってもみなかった分野に可能性が眠っている……そんなお話を聴いたことはありませんか?
「自分は数学の教員免許を持っているから、英語は関係ない」
「算数とか数学は大の苦手だったから、誰かに教えるなんて無理」
と思い続けてきたはずなのに、まさか、そんな機会がやってくるなんて。
私の場合は
「持っている教員免許は高校の国語だし、英語なんて平均点の周りをうろついていた程度でしかないから、まさか人に教えるなんてことはないだろうな……」
と思っていたのです。
しかし、その【まさか】が起こりました。
今回は、私の実体験をふまえて【誰でも先生になれるかもしれないシリーズ】と題しまして、英語をどのようにして生徒に教えられるようになったのかをお話しさせていただきます。
算数についてもお話をしておりますので、下記の関連記事も是非あわせてご一読いただけますと嬉しいです。

◆平均点くらいしかなく、その理解もあやしかった現役時代の英語
私にとって、英語は「仕事で必要な人が使うために学べばOKなもの」という認識でした。
現役の学生時代においても
中学・高校まで「苦手ではないけれど、テストでいい点数が採れたためしがないし、いつも平均点辺りだった」
大学「え、まだ英語やるの?まぁ、必修単位らしいから、なんとなくやっておくか」
こんな程度でしかありませんでした。
そんな適当さで英語に臨んでいたため、成績も伸び悩む一方でした。
私が通っていた高校は、中学受験からの私立の一貫校であり、大学もあった学校でした。
私がまともに良い評定と言える数値を得ていたのは国語(特に古文)くらい。
あとは文系科目も中レベルくらい、理系科目が足を引っ張りまくる(平均点が低かったこともあり、先生の温情から赤点は常に免れていました……本当にありがとうございます)という成績でした。
「このままでは大学の推薦にも影響が……」という担任の懸念もあり、保護者面談で勧められた予備校に通わされたものです。
しかし、予備校は【理解していることが大前提の超集団クラス】しかなく、理解が深まるどころか異世界に迷い込んでしまったような感覚しかありませんでした。
「学ぶ楽しさや意義の発見」なんて、微粒子レベルも存在するはずがありません。
唯一の楽しみは、予備校帰りの道の本屋さんに立ち寄ることくらいでした。
夏期講習やら何やら受けましたが、大変申し訳ないことに、正直言って両親からすると「やらされている感満載の、モチベーションの上がらない原因に気づくための投資」になる結果となってしまったのですよね。
それでも、仲の良い先輩(成績優秀)に家庭教師をしていただいたことで英語学習のモチベーションになり、「先輩と一緒に喜びをシェアしたい!」という想いもあって、なんとか推薦試験に合格して付属の大学に通った私ですが、どんな理由であれモチベーションは重要だと、振り返ってみて実感しきりです。
私が入ったのは、文学部の「国文学科」でした。
歴史を感じさせる物事が好きだったので、私は日本の中世古典文学のゼミに入ったのですよね。
このとき、本気で自分の知りたいことや学ぶことの楽しさと意義を見つけられました。
大学の文学部には「英文科」がありましたが、私は「国文科」でしたので、そこまで必死にならなかったものです。
英語よりも、古文書籍の仮名文字の翻刻や、「平家物語」のように一つの作品の写本がいくつもの派生を生んだということについての研究の方が重要だったのです。
人間、興味や関心のあることは、自ら進んで学ぶ意欲の元に行動するものなのです。
◆「日本人は英語よりも国語の力でしょ」と思い込んでいた私の概念の琴線に触れたこと
そんな骨の髄まで国語人間だった私ですので、紆余曲折の社会人生活を経て学習塾講師としてデビューするまで、まともに英語に触れたことは一切ありませんでした。
一時期、派遣社員として人材派遣会社に登録していたのですが、その時にお仕事のコーディネーターさんから【英語を使える外資系の事務】を紹介されたことがありました。
さすがに驚いてしまった私は
「何かの間違いでは??
登録時に”英語を使う”の項目にチェックを入れなかったと思うのですが……???」
と電話の向こうで怯えながらコーディネーターさんにお伝えしたものです。
もう、まさにこんな状態になっていました。→((((゜Д゜; ))))
本当にコーディネーターさんの勘違いだったのですが(おそらく、資格の【実用技能英語検定3級取得】をご覧になったのでしょう)、今、思い返せば、あのとき勘違いでも怖いもの見たさで応募していれば、面白いことにたくさん出会えたのかもしれないなぁ……と。
もっとも、当時の私にそんな勇気はありませんでした。
これがもしも「そんなこと言って逃げているけれど、いずれ将来、英語にがっつり関わるんだからね」と言われているサインだとすれば、それこそ人生のシナリオかもしれませんね……。
本当に、人生、なにがどこでどうなるか、不確かなものです。

ところで、私は学習塾講師デビューを果たす前、とある大学で開講していた社会人向けの学芸員資格講座を【科目等履修生】という形で受講していたのですよね。
その中で、受講生の方とのやりとりをしていたのですが、こんなお話がありました。
「日本って、いろいろな海外の文化が当たり前のように根付いていますよね。クリスマスとか、最近でこそハロウィンとか。
でも、それを正しく理解できているかと言うと、決してそうではないし、ただのノリで楽しんでいる傾向が強いと思うんです。
ホームステイ先で”日本の独自の文化って、どんなものがあるの?”ときかれて、あまりまともに答えられなかったんですよね。
私は、それが恥ずかしくて。
英語とか海外の文化とかに触れる前に、まずは自分の国の文化や歴史について、きちんと理解して海外の人に説明できるようにならないと……と思ったんですよね」
これ、本当に私も同意見だったのです。
やれ【グローバルが】とか【日本は何でも受け入れられちゃう懐の深い国】とか言われるけれど、果たしてどれくらいの日本人が日本のアイデンティティについて他者に説明できるか?
かつて五千円札の肖像画にも採用されていた新渡戸稲造さんの「武士道」にも、同じようなことが冒頭で書かれています。
新渡戸稲造さんは外国の方である奥様から「日本人を支える精神って、どんなことが柱になっているの?」とたずねられて答えに困ったことがきっかけで、これまでに日本人の精神を育んできたものを追及してみようとなさったのですよね。
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その琴線に触れるやり取りや「武士道」を読んだことも導線となったのか、学習塾講師として英語デビューする中で、私はとても大切なことに気づき始めたのでした。
このきっかけは、私の凝り固まった概念を良い意味で解し、柔軟性を与えてくれるものになりました。
それは、決して「日本語しか勝たん!英語いらん!」と英語を否定するのではなく、日本語と英語を客観視してみることで気づける面白さです。
◆なぜ英語を勉強するのか?
ここで、クイズです。
下の画像をご覧ください。

私は、英語を初めて本格的に勉強する生徒や、英語の基本的なルールがあやふやな生徒には、必ずと言っていいほどにこのクイズを出します。
「アメリカ人!なんか、ケーキ好きだし、食べるの速そうだから」
と、実に様々な答えが返ってきますが、そのほとんどが日本人ではなく「アメリカ人」と言います。
どの子どもたちも、このクイズの真相を知らなくとも、直感でそう言える辺り【既に感覚で文化の違いを理解している】と言っても過言ではなさそうです。
正解は、この記事の一番下に置かせていただきますので、ずずぃ~っと最後までご覧くださいね。
ちなみに、私がこのクイズを発案して授業に導入し始めたのは、講師デビュー3年目を迎えた辺りでした。
実は、これが【なぜ、私たちは日本人でありながら英語を勉強するのか?】の真髄になります。
先程の学芸員講座でのお話や新渡戸稲造さんの「武士道」のお話にもありましたように、私が考えるその理由は
【日本人が日本のことを正しく理解するためのきっかけになるのが英語を学ぶことだから】
と言えます。
言語とは、その国の文化の象徴になります。
物事の考え方は、単語のみならず語順に現れるものです。
よく、スポーツの試合後のインタビューで、活躍した外国人選手が日本語で「ガンバリマス」「アリガトウゴザイマス」とシンプルに答えるシーンが見られます。
これは、日本語はそれほどに単語が多くて文の構成が複雑であることから「シンプルな表現からまずマスターしよう」という理由になります。
「私は」という表現を例に挙げると、こんな違いがあります。
【日本語】私 は
「私」という名詞と、主語としての役割を明示する「は」という助詞の2つの単語で構成されている
【英語】I
1つの単語の中に、日本語の「私」「は」が内包されていて「私は」という主語を作っている代名詞になる
「どちらが優れているか」ということではなく、それぞれにその国の性格・考え方が反映されているのですよね。
英語を学ぶことで、「では、日本語は?」となり、その文化の違いや日本語の根本的な考え方を知るきっかけになるのです。
勿論、英語も本場のイギリス英語や一般的に普及されているアメリカ英語、そしてオーストラリア英語やカナダ英語など、その地域によるスペルや発音の違いは存在します。
(日本語でいうところの標準語、関西弁などの方言)
私が英語の面白さを知ったのはここからであり、更には私自身も現役の学生時代になぜ英語のテストに苦労したのかという理由が見つかったのです。
それは「日本人の国語の考え方で英語を理解しようとするから」でした。
◆国語の先生だからできる英語の解説



※これらは当方の教材から引用したものです。
学習塾講師で英語デビューをしたばかりの頃は、私もこの感覚を引きずっていたまま、ぎこちない指導になってしまっていたために試行錯誤でした。
ときには社会人のベテラン講師と比べられて「他の先生の教え方の方が自分に合っていたので」と担当変更を訴えられたこともあり、本当に心が折れた経験もありました。
性質が異なる日本語と英語のため、同じ感覚で英語を理解しようとすると「なぜ、これはこうなるのか?」という仕組みやルールがわからなくなってしまいます。
そして「三人称単数形」や「不定詞」「関係代名詞」という文法上の分類ワードもまた、脳内で独り歩きをしてしまう傾向にあります。
実際、現役時代の私も「関係代名詞」や「大過去(過去完了)」という文法ワードはインパクトがあったのか、ワードだけは覚えていたけれど「それが何か?」ということはさっぱりでした。
学校や塾、はたまた市販の参考書では、こうした文法上の分類ワード先行で授業や解説が展開されがちなので、生徒たちの脳内には理解よりも「?」というマークばかりが量産されてしまうのですよね。
ここに気づいた私は、自身の授業や製作しております解説において、極力そうした文法上の分類ワード(専門用語)を控えめにして、「これってこういう役割」という落とし込みをすることを大切にしております。
できることなら、現役時代の私に「英語って、こんなに面白くて楽しいんだよ!そして国語ももっと楽しくなるよ!」と言ってあげたいです。
いえ、時空を超えて呼びかけ続けます。
【日本語も大切にしながら英語の楽しさにも触れること】
これが私にとって英語の授業の醍醐味と言えます。
そして、それがきっかけになって「私たちの国って、私たちの文化って、どんなことを大切にし続けてきたのかな?」ということを感じて考えることができる人が増えると嬉しいです。

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【クイズの答え】アメリカ人
日本語では「私はこのケーキを食べる」、英語では「I eat this cake.」と「食べる」にあたる言葉が英語の方が先に来ます。
これは、英語が「誰がどうする」という主張を一番大切にしたい考えから来ております。
日本語は「どうする」の前を丁寧に説明することを重要視しているのですね。